今回は、「コソ練」について考えていきます。
本ブログの流れは以下のとおり。
- 結論:コソ練はいいぞ!
- 理由1)コソ練は周りと差別化できる
- 理由2)自信につながる
- 「コソ練=ダサい」「コソ練=セコい」はやらない人の謳い文句
- まとめ:全力でコソ練をしよう。
結論:コソ練はいいぞ!
今回は、「コソ練」の素晴らしさについてお伝えしたいと思います。
私は、「コソ練」賛成派のひとりです。コソ練は素晴らしい。
コソ練とは、こそこそ練習することをいいます。影に隠れ、目立たずに練習していくことです。
私は小学生の頃にコソ練を身につけました。
その内容が、朝6時から誰もいない学校の運動場で野球の練習をすることです。
小学生の頃ほとんどの人は、8時過ぎに登校していたような記憶があります。当時は「朝マラソン」という運動場を何周走ったか競う文化があり、朝早く登校して運動場を走る人もいました。それでも7時過ぎにに登校するのが最も早い人でした。
当時私は、5時50分に父親と家を出て、6時から7時までの1時間野球の練習をしていました。7時まで1時間みっちり練習をした後、帰宅し朝ごはんを食べ学校に向かい、朝マラソンに取り組んでいました。
当時はただただ辛い毎日で本当にイヤだった。ぐずぐずと文句を言いながら毎朝起きては6時から誰もいない静かな運動場で野球の練習を続けていました。登校前の静寂な運動場は明確に覚えており、情景を思い出すと複雑な気持ちがこみ上げてきます。
人生はじめての「コソ練」を始めて20年ほど経ちますが、朝6時から誰もいない学校の運動場で野球の練習をするという「コソ練」は今の自分の土台です。踏ん張りどころでは、自分を助けてくれる御守りになっています。
コソ練をおすすめしたい理由を2つ説明します。
理由1)コソ練は周りと差別化できる
まず1つ目の理由は、「コソ練は周りと差別化できる」から。コソ練は周りとの違いを生み出してくれます。
小学生の私は、平日の6時から7時までの間は野球の練習をしていました。たった1時間と思うかもしれませんが、この1時間は大きな差となります。1ヶ月の平日を20日間とすれば、1ヶ月で20時間を野球の練習に使うことができていたので、1年経てば240時間の差です。
人と人との間に差が生じる理由は、生まれつきの才能もありますが、その大部分が「他人より多くの時間を割いたかどうか」によるものだと考えています。どれほど時間を投入したか、人より量で勝ったか、が差を生み出す根源になります。
他人より多くの時間を割いていくためには、他の人と同じことをしていては大きな差別化を生み出すことはできません。他人がやらないところで手を動かしたり働いたり勉強したりしていく必要があります。
他人より多くの時間を投下する方法として「コソ練」は非常に優秀です。差別化を生み出す有力な方法の一つになります。
理由2)自信につながる
2つ目の理由は、「自信につながる」から。どんなときも、確固たる自信は大きな後押しになります。
朝6時から誰もいない学校の運動場で野球の練習をした「コソ練」の積み重ねは、当時小学生だった私に大きな自信を与えてくれました。誰もいない運動場で練習しているのは自分だけ。自分だけが知っているこの事実をこっそり持っていることで、ふつふつと湧き出る静かな自信を持つことができました。
1時間のコソ練を終えたら、学校に行き、何食わぬ顔で朝マラソンに参戦します。朝マラソンというゲームでは、運動場を走った周数が多いか少ないかという指標の中で戦います。そこに、コソ練のアドバンテージは皆無。逆にコソ練分の疲労が足を引っ張ることもあります。
ただ、私は「コソ練」をプラスアルファの負荷として加えることが大きな自信につながる第一歩だと考えています。小学生時代を振り返ると、朝マラソンというゲームで戦う時は常に、朝6時から7時の「コソ練」というプラスアルファの負荷を加えていました。朝マラソンに参戦するコンディション(負荷)を他の人と変えていたのです。
最初の頃はコソ練の疲れで戦うことができない場面が多くありましたが、慣れてくると次第に負荷を加えたコンディションでも他の人と戦えるようになってきました。このやり方を小学生時代に身に付けたことで、社会人でも応用ができており、常に自信を持った状態を保つことができています。
「コソ練=ダサい」「コソ練=セコい」はやらない人の謳い文句
ここまで「コソ練」の素晴らしさを実体験をもとにお伝えしてきましたが、「コソ練」にマイナスのイメージを持つ方もいるのではないでしょうか。
こそこそ隠れて練習するなんて
- ダサい
- セコい
- みっともない
と思う方もいるはずです。
ただ、こそこそ練習することに悲観的な意見を持つ人は、現実から目をそらして、やらない・できない理由を必死になって探しているだけのようです。
「コソ練」をダサいもの、セコいものと考えることで、コソ練から距離を取ることができます。つまり、自分の手を動かさない楽な選択をとっているのです。
事実、「コソ練」は簡単ではありません。人から見られもせず、認知もされず、孤独な時間を過ごすことになります。味気なく、つまらないとも感じるでしょう。コソ練には、気合・気力・体力が必要になります。注目も集められず、他人から褒められることもなく、体力も消耗する「コソ練」を前向きに取り組める人がどれほどいるか甚だ疑問です。
もし「コソ練」をする気力も体力もない人は、「コソ練」をしている人を指差して、「こそこそやってて陰気臭えな!」と笑ってやりましょう。
5年後、10年後そんなあなたとの差は埋められないほど大きなものになっているでしょうが。
まとめ:全力でコソ練をしよう。
今回は、「コソ練」について考えてきました。
コソ練をして自分と向き合える人は、遠い将来、大きな果実を手にするでしょう。その果実は簡単に腐れやしません。他人との大きな差を生み、揺るぎない自信を与えてくれるはずです。
全力でコソ練に取り組む人が活躍できる基盤を作っていきたいと常々考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。