今回は、「理想を追いかけるとシンドい理由」について考えていきます。
本ブログの流れは以下のとおり。
- 「理想」を追いかけるとシンドい理由
- 理由:「理想」は他人や社会によってつくられているから
- 結論:偽りの「理想」は掲げない。自分が納得すればそれでいい。
「理想」を追いかけるとシンドい理由
「理想」を追い続けると疲れます。疲弊します。
なぜ、「理想」を追いかけるとシンドいのか。
それは、
- 「理想」は他人や社会によってつくられているから
「理想」とは、他者に依存しているものだというのが私の考え。自分の「理想」を口に出しているようで、実は無意識のうちに他人の目線を気にしているもの。だからこそ、他人の顔色を伺って掲げた「理想」を追い求めると、疲れてしまうんですよね。
理由:「理想」は他人や社会によってつくられているから
「理想」を追いかけるとシンドい理由は、「理想」は他人や社会によってつくられているから。
みなさんの中には、「理想の自分像」ってありますか?
志高い理想を持っている人も多いのでは。幼少期から高い理想を掲げ、その理想に向かって努力する姿は美談として伝えられます。理想を持つことこそが、自分を突き動かすといってもいいでしょう。
ただし、その「理想」は他人や社会によってつくられている事実を知っておくべきです。「理想」は、自分の意志によるものだと誤解されがちですが、実は他人や社会に大きく影響されています。
「理想」に対する誤解とは
「理想」に対する誤解。それは、「理想」が自分の価値観に影響されてつくられていると信じていることです。だからこそ、「理想」と「本心」が乖離し始めたとき、多くの人は絶望に陥ります。
例えば、「こうなりたい」「こうあるべきだ」という理想、と、「いま自分背伸びしているな」「こんな自分嫌だな」という本心のように。わずかに生じるそのギャップが苦しみの根源となるのです。
すべての価値観は他人や社会に依存する
そもそも「自分の価値観=自分の本心」という考え方は違うような気がします。なぜなら自分の価値観は、周りの環境に大きく影響するからです。価値観は他人や社会に依存しています。
一部を除き、多くの人に根付く価値観は、育てられた環境や経験、周囲の人間関係によって構築されます。自分が良いと思う価値観は、親が喜んでくれるから、先生が褒めてくれるから、学校で人気者になれるからという他者評価に支配されていないでしょうか。
ちなみに私は、他者評価に依存した自分の価値観を持っていました。
学生の頃は、先生の言うことを聞いて真面目に勉強しないといけない。常に良い成績を取らないといけない。スポーツもできるようにならないといけない。ユニークさも持ち合わせないといけない。
そんな自分が「正義」だという価値観を持っていました。その価値観を体現できる学生こそが、理想の自分像だと心の底から思っていたのです。
当たり前ですが、この「理想」は私を苦しめました。体力や能力には限界があるもので、「すべてを言われた通りに全力でやり抜く」、というなんとも聞こえはいいですが、カラダもメンタルもぼろぼろになってしまいました。
理想は自分によってつくられていたのか?
自分自身が思い描いていた「理想」は、自分がつくったものだったのでしょうか。もちろん、その答えはNo(ノー)です。
先生の顔色をうかがい、親の機嫌を取り、必死に立ち振る舞いをする自分こそが「理想」だと信じ込んでいました。いま思うとバカげています。ただ、当時はいまのような考え方ができませんでした。
「理想」の良し悪しを判断する基準は常に他人軸
理想は、価値観に影響され、その価値観は他人や社会に依存するとなれば、理想の良し悪しを判断する基準はすべて他人軸になってしまいます。つまり、自分が目指す理想は他人に都合の良い人間像です。
理想の良し悪しを決める判断基準が、自分以外のところにある以上、自分を納得させることは困難でしょう。理想と本心が一致することは極めてまれだと思います。
理想を追いかけ続ける限り、理想と本心のギャップに苦しむことになります。
結論:偽りの「理想」は掲げない。自分が納得すればそれでいい。
私は、「理想」という名の他者評価に怯え、常に他人の目を意識し、良い子であろうとし続けている過去の自分にハッとしました。偽りの「理想」を追い求め続けていたのです。
自分の中にあるありとあらゆる「理想」は、他人や社会によってつくられている事実を知っておきましょう。頭の片隅に置いておくことで、気持ちにゆとりが持てると思います。
結局のところ、自分が納得すればそれでいいんです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。