生活の中で直面する出来事には、楽しいこともあれば悲しいこともあるでしょう。
楽しいことは、ハッピーな気持ちにさせてくれる一方、悲しいことは、落ち込む要因となってしまいます。
このため、できる限り楽しくハッピーなことが起きて欲しいし、落ち込むほど悲しい嫌なことは起きて欲しくないと直感的に思うものです。
ただ私は、生活の中で直面する出来事について、次のような意識を忘れないようにしています。
それが、
「ツライことに快感を、楽しいことに疑いを、持つ」
ということ。
直感的な感性である「ツライ=避ける」「楽しい=快感」とは真逆の意識です。
それではなぜ、私が
- 「ツライ=快感」
- 「楽しい=疑う」
を意識しているのか、その理由を書き記します。
普段何気なく過ごしていると、ついつい楽しい方に流れ、ツライことを避けようとしてしまう本能が顔を出します。この本能を自分で制御しておくことがポイントになるので解説します。
【本能】人はツライことを避け、楽しいことに快感を感じる生き物
まず大前提として知っておくべきことが、人間の本能についてです。
人は知らず知らずのうちに本能によって行動の選択をしている場合が多々あります。
例えば、急に目の前に虫が飛んできた時、瞬間的に目を閉じるという反応。
この「目を閉じる」には、目の前に急に現れた虫に「驚いた反応」と虫が目に入ることを「防ぐ反応」によって、目を閉じるという反応が引き起こされています。
本能は、このような体に起こる反応以外にも、感情を動かす反応もあります。
例えば、来週から1週間会社をお休みして海外旅行にいく予定が入っているとします。この場合、海外旅行に行く日が迫れば迫るほどワクワクと楽しい感情が湧き上がってくるでしょう。
また、来週までに仕事を仕上げないといけない、となるとツラくて逃げたいなぁという感情が降ってくるはずです。
このように人は、体の反応だけでなく感情の反応においても、本能のままに行動する生き物のようです。
本能は、身や心を守るために備わった人間の能力であり、ツライことを避け、楽しいことを快感に感じる現象は至極当たり前なことだとも言えます。
ただ、本能にはなかなか逆らうことができません。理性によって本能を抑え込むことは一部可能でしょうが、本能に逆らうことは容易いものではありません。
だからこそ、人間が持ち合わせる本能を事前に理解しておくことは非常に大事なことなのです。
ツライことに快感を持つべき理由
ではなぜ、本能に逆らってツライことに快感を持つべきなのか。
それは、
「ツライと感じることにこそチャンスがある」
からです。
先ほどお話したように、ツライことは本能に則ると、「避けること」に値します。
このため、多くの人はツライことから避ける行動を取るようになります。ということはつまり、ツライことには大きな参入障壁があると言えます。参入障壁はライバルを排除してくれるため、大きな果実を得られるチャンスが転がっていることが多いのです。
「人の行く裏に道あり花の山」
これは株式投資でよく使用される格言です。この言葉は、多くの投資家が群集心理で同じ行動を取ろうとする一方、株式市場で利益を得ようとすれば他の投資家とは逆の行動を取らなければいけない、という意味を示しています。
株式投資に限らず、生活の中で直面する出来事はすべて「人の行く裏に道あり花の山」で成り立っていると思っています。
ツライことは多くの人が避けようと挑戦してきません。だからこそ、戦う母数が少ないのです。
だからこそ、「ツライ=避ける」という本能から「ツライ=快感」へと意識を変えていけば自ずとチャンスが増えてくるでしょう。
「ツライ=快感」に切り替えるには?
ツライことを避けていてはチャンスがなかなか訪れないことはわかった人も、どうやって「ツライ=快感」に切り替えればいいのかと疑問に思うかもしれません。
私の経験に基づく意見としては、「ツライ=快感」に切り替える簡単な方法や近道は「ない」ということ。
つまり、地道にツラさと向き合っていくことでしか「ツライ=快感」の境地には達することができないと考えています。
私は意識を変える第一歩として、「ツライ」と感じる出来事が起きると「真っ正面で受け止める」意識でその都度取り組むようにしています。あえて「真っ正面で受け止める」意識を作っておくことで、逃げたくなって半歩下がったとしても踏みとどまることができます。
本能を打ち消し、「ツライ=快感」というもはや変態領域に踏み込んでいくためには、日々生じる「ツライこと」に真っ正面から向き合っていく以外に方法はないような気がしています。
楽しいことに疑いを持つべき理由
ここまでツライことに快感を持つべき理由について説明してきました。
次は、本能に逆らって楽しいことに疑いを持つべき理由について説明していきます。
それは、
「楽しいと感じることは人によって手が加えられている場合がある」
からです。
冒頭お話したように、楽しいことは本能に則ると、「快感」に値します。
快感を感じるものには、人の手が加えられている場合が多くあります。快感を感じるものはお金が稼ぎやすいため、ビジネスの対象になっている場合が多いのです。
このため、様々なエサが撒かれており、良いエサと悪いエサの目利きが求められます。
仮に目利きを誤って、悪いエサを得てしまうと、予期していた結果とは異なるリスクに直面します。
もちろん、ビジネスやお金儲けが悪いと言っているわけではありません。快感だと感じることの裏には、快感という大きな欲求をより掻き立てる緻密なプロの手が加わっている事実を知っておくべきだということを伝えたかったのです。
だからこそ、「楽しい=快感」を素直に受け取るのではなく、一度自分で咀嚼するための「楽しい=疑う」意識が必要です。
「楽しい=疑う」に切り替えるには?
ではどのようにして「楽しい=疑う」に切り替えればいいのか。
私の場合は、「楽しいな」「快適だな」「楽勝だな」と感じると一呼吸おくことを意識するようにしています。楽しいという快感は、地に足をつけないまま背中を後押ししてくれる力を持っている気がするからです。
このため、常に浮足立った感覚があり、冷静な判断ができない失敗経験が多くあります。
失敗経験から、「楽しい」と感じているときこそ一度立ち止まって、繰り返しチェックを行い、慎重に取り組む意識を忘れないようにしています。
この意識を持つことで、目の前に楽しい出来事が訪れたときにも、冷静に確認する「疑う力」が身についたと感じています。
最後に。
人間だけでなく、生き物は本能に流される特性を持っています。本能といった直感は、時に重要な判断を下す決定打となることもあります。
ただし、常に本能のまま流されていては現代社会を生きていくことは非常に難しいでしょう。なぜなら、本能のままに流されるよう仕組みやビジネス等が構築されているためです。
私は、今回解説してきたように「ツライことに快感を、楽しいことに疑いを、持つ」という本能に一部制御をかける意識を持っています。この制御フィルターを一枚噛ませておくことで、周囲の変化に左右されず自分の軸を持ち続けることができているような気がします。
少しばかり変態じみた感覚なので万人にオススメはできませんが、「こんな考えもあるんだなぁ」くらいの参考にしていただければ幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。