6月18日に、隅田川花火大会実行委員会が開催され、昨年に引き続き、令和3年(第44回)隅田川花火大会の中止が発表されました。
通年7月に開催されている隅田川花火大会ですが、今年は7月〜9月の東京オリンピック・パラリンピック開催を考慮して、10月23日(土)に行われる予定でした。
昨年も新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった隅田川花火大会。
今年も現状の新型コロナウイルス感染拡大状況を鑑み、混雑による来場者や関係者の安全を第一に、中止となった形です。
令和3年(第44回)隅田川花火大会はコロナの影響で中止に
44回目を数える隅田川花火大会ですが、昨年(令和2年)に引き続き、中止となりました。
来年は、コロナが収束し、3年ぶりの開催となることを楽しみに待ちたいなと思います。
当初予定日時
令和3年10月23日(土) 19時〜20時30分
当初予定打上玉数
約20,000発
当初予定会場
隅田川(第一会場:桜橋下流〜言問橋上流、第二会場:駒形橋下流〜厩橋上流)
第一会場
第一会場は、桜橋(さくらばし)下流から言問橋(ことといばし)上流の区間。
約9,350発の打ち上げ予定でした。
第二会場
第二会場は、駒形橋(こまがたばし)下流から厩橋(うまやばし)上流の区間。
約10,650発の打ち上げ予定でした。
隅田川花火大会の歴史と由来
以下、隅田川花火大会ホームページからの引用です。
隅田川花火大会の歴史
今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からで、その前は「両国の川開き」という名称で昭和36年まで両国橋上流で行われていました。しかし、交通事情の悪化等に伴い翌年以降の開催ができなくなり、昭和53年に今の「隅田川花火大会」に名を改め、隅田川での開催復活を果たしました。打上場所も隅田川のさらに上流へ移動し、現在の2箇所の打上場所になりました。
隅田川花火大会(川開き)の由来
歴史的記録に残るものとしては、両国の花火が最古となっています。江戸時代の享保17年(1732年)の大飢饉で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。翌18年(1733年)5月28日に、幕府(8代将軍吉宗)は、犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許により花火を打ち上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。
まとめ|令和4年隅田川花火大会開催を楽しみに!
残念ながら、コロナの影響で2年連続の中止となった「隅田川花火大会」ですが、来年こそはコロナを乗り越えて、開催されることを期待しています。
江戸幕府8代将軍吉宗が、大飢饉と疫病を乗り越えるために行った水神祭。その水神祭が「両国の川開き」となり、現在の「隅田川花火大会」につながっていることを考えると、令和の時代の「コロナ」をも乗り越えたイベントとして歴史に刻んでほしい。
そう切に願います。
来年こそは、隅田川の空を眺めて、夏を感じたいものです。