今回は、「決定欲」について考えていきます。
本ブログの流れは以下のとおり。
- 自分が決めたい傲慢な「決定欲」
- 自分で決定して進むことの面白さ
- 頭の中のイメージを具現化したい
- 決定判断の是非を知りたい
- 決定権を持たないほうが安全?
- 「他人が決定したレールに乗って、乗り心地に文句を言わないか?」と自分に問う
- まとめ:進む道の選択は自分の責任で決定していく。
自分が決めたい傲慢な「決定欲」
皆さんは、自分で何でも決めたい「決定欲」がありますか?
進路や就職先、仕事の中での重要な決定、今晩のご飯を何にするか、など生きていると選択を迫られることが多々あります。影響力の大きいものから小さいものまですべて含めると、その数は膨大です。
決定する行為は非常に体力を使います。脳みそも使います。責任も伴います。
このため、自分で決定することを避け、決定権を他人に譲る人もいるのではないでしょうか。エネルギー消費量を省エネするには得策かもしれませんが、「自分が決めたい!」という傲慢な決定欲こそ現代人に必要な気概だと思います。
私が密かに、傲慢な決定欲を持っている理由は、自分で決定することで次のような体験を得られるから。
自分で決定して進むことの面白さ
自分で決定することは非常に面白いことです。自分で決定して前に進んでいくときの面白みは中毒性があるほど。
学生の時は、親や先生、学校が決定の道標を与えてくれ、時には決定までしてくれていました。このシステムに気持ち悪さを感じていた私は、ひたすら学生生活を耐え抜きました。そしていま、大人になって少しずつ自分で決定できることが増えていきました。
決定に自分の意志を乗せる感覚は「傲慢」と言い換えることもできるでしょう。自分の感情や意見を押し殺して協調性を育んできた学生時代を過ごしてきていれば「傲慢」だという感情はより一層増すはず。
ただ、「決定欲」という自分の想いを凝縮させ、自分色に染まった決定が進んでいくことは自分の意志を受け継いだ子供のように可愛いもの。その決定欲が、社会に影響を与えるとなればこれほど面白いことはないです。
頭の中のイメージを具現化したい
決定欲を全面に押し出していくと、頭に描いているイメージを具現化できる場合があります。
こんな物があれば便利なはず、こんな仕様であれば利用者が使いやすいはず、こんなサービスがあれば生活が豊かになるはず、など頭の中にあるイメージを形にしていくとができます。
ただし、イメージを形にしていくためにはある程度の決定権が必要ですし、決定権が与えられた時に決定する力が試されます。頭の中にあるイメージを形にできる人は多くないでしょう。そもそも、頭の中からイメージを取り出すことなく死んでいく人も少なくないはず。
頭の中からイメージを取り出す時にも、取り出したイメージを具現化していく過程でも、決定欲はうまく利用していく必要があります。傲慢な決定欲がないと、頭の中からイメージを取り出すことも、取り出したイメージを具現化していくこともできない、というのが私の感覚です。
少しでも頭の中の思考を形にしたいなら決定欲は大いに活用すべきでしょう。
決定判断の是非を知りたい
勇気を持って決定をすると、その決定に対する結果が見れるのも面白い体験になります。
人は誰しも失敗を犯します。必ずです。なんでもうまくできているように見える人も皆失敗を経験しています。
では、失敗しても動じない人と1回の失敗で立ち直れない人の違いはどこにあるのでしょうか。それは、失敗回数、つまり自分で決定した量に起因してくると考えています。
以前書いたブログ「学生時代に身につけておくべき4つのこと【燃え尽き症候群に注意】」では、学生時代に身につけておくべきこととして「失敗後の対処方法」を挙げました。
自分の思いを乗せた決定をすることで、うまくいくかいかないかの実験ができるということです。この実験により、失敗や成功経験を積んでいくことができます。この経験が蓄積されていくと、どうすれば失敗するのか、どのように決定を下していけば成功するのかが少しずつ分かってきます。
決定した結果の是非を学べるのは一生の財産になります。歳を取れば取るほど、1つの決定に対して失敗が許されなくなってくる場合が増えます。責任のある立場であればなおさらです。
決定判断の是非を格納する引き出しを増やしていくと、着実にレベルアップしている感覚を植え付けることができます。
決定権を持たないほうが安全?
自分が決めたいという「決定欲」を持つことは自分のためになる体験をすることができるので素直に楽しいと感じてしまうのですが、中には「決定しないほうが安全だ」と考える人もいるのではないでしょうか。
決定権を持つ立場になると、責任が発生してきます。自分の決定によって、大きな責任問題に発展するリスクからは身を遠ざけたいと思うのが正常なのかもしれません。
面倒くさい問題に巻き込まれたくない、決定して失敗したら怒られる、決定する自信が持てない、などは誰もが抱く感情でしょう。このような感情が先行すると、「決定しない=安全」という発想に変わってきます。
「他人が決定したレールに乗って、乗り心地に文句を言わないか?」と自分に問う
私も決定しない方を選びたくなるときが幾度となくあります。『決定しなければ害を受けることはないよ』と悪魔の囁きが聞こえてくることも。
「決定しない=安全」という考えに傾きかけたとき、意識して自分に問うことが1つあります。
それが、
他人が決定したレールに乗って、乗り心地に文句を言わないか?
ということ。
少しばかり自分のエピソードを話しておくと、就職先を決定する時に、私はこの問いを自分自身に向けました。希望の就職先で親と意見が別れていた私は、面倒くさい争いを避けるために親の言うとおりの選択をしようと思っていました。自分が折れて親が思い描く方に就職先を決定すればこの場はうまくおさまると。そんな悪魔の囁きが聞こえたとき、このフレーズを自分に問いてみたのです。
他人が決定したレールに乗って、乗り心地に文句を言わないか?
就職のエピソードに言い換えると、
親が就職して欲しい就職先に決定して、大学卒業から退職までの約40年間就職先でどんな辛いことがあっても親の責任にしないか?
と、自分に繰り返し質問を投げかけてみたのです。
その質問に対する答えは、
将来起こりうる苦難に対して一寸たりとも親の責任を介入させたくない
というものでした。つまりは、
自分が行きたい道を、自己責任のもと、自分が決定して進んでいく
ということです。この問いによって、行きたい就職先を自分で決定し選択することができました。
まとめ:進む道の選択は自分の責任で決定していく。
今回は、「決定欲」について考えてきました。自分で決定していくことはとても面白いことです。自分や周りの可能性を拡大することができるかもしれません。
時々、決定をしないほうが安全だと考えてしまうこともあるでしょう。決定するには体力・知力が必要なので「決定欲」を持つことには大きなハードルがあります。
もし「決定欲」を持てない時は、「他人が決定したレールに乗って、乗り心地に文句を言わないか?」と自問自答してみてください。何かのきっかけになるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。