どんなものを「美しい」と感じますか?
人間誰しもが持っている「美的感覚」は千差万別。正解や不正解といった模範解答がない世界です。
この「美的感覚」は人によって様々で、好き嫌いや価値観を表すひとつの指標になります。
例えば、好きなタイプには美的感覚が大きく影響しますよね。
- 外見的な美しさを重視する
- 内面的な美しさを重視する
見た目の美しさだけに重きを置く人もいれば、性格や知性の相性に重きを置く人もいるでしょう。
また、見た目の美しさだけに重きを置く人の中でも、複数の美的感覚が存在します。身長が高い人、低い人、ガタイがいい人、細身の人などなど、世の中に転がる美的感覚は無数です。
つまり、この美的感覚には正解がないということ。各人が各々の正解を持っています。
先述した好きなタイプ以外にも、持ち物(ブランド品を持つ持たない)や生活水準(都会か田舎か)、仕事のやり方(ハードかゆるくか)、性格、生き方などにも美的感覚は存在します。普段意識していない人も、無意識のうちに自分の美的感覚の中で判断し行動しているのです。
私は、この「美的感覚」を研ぎ澄ませていくことが重要だと考えています。
そこで今回は、「美的感覚」について美的感覚を研ぎ澄ますメリットとそのハードルを中心にお話します。
「美的感覚」を研ぎ澄ますメリット
美的感覚を研ぎ澄ますべきだと思う理由。それは、次のようなメリットが挙げられるからです。
- 1)確固たる価値観が築き上げられる
- 2)美的感覚が似た人が周りに集まる
- 3)満足度の高い生活が送れる
ひとつずつ簡単に説明します。
1)確固たる価値観が築き上げられる
美的感覚を研ぎ澄ませていくと、その過程で確固たる価値観を築き上げることができます。
美的感覚は、好き嫌いや価値観を表す指標です。このため、美的感覚を鋭くすることは、自分自身の好き嫌いや価値観を整理し自分のことを知る機会になります。自分は何が好きなのか、何が嫌いなのか。即答することはできるでしょうか。私はいま模索しているところです。
自分の好きなこと嫌いなことを当たり前のように持っている軸のある人は個人的にかっこいいなと思います。ただ、この価値観は一夜漬けで身につけられるものではありません。日々の積み上げで体に染み付いてくるものです。
歳を取るだけとって自分の意見や価値観を持っていない人を見るとどのような感情をいだきますか?尊敬できるでしょうか?自分の確固たる意見を持っている上司と意見がコロコロ変わる上司ではどちらを尊敬するか答えるまでもありません。
もちろん無理に信頼を得ていく必要はありません。ただ、周りから認められたいという承認欲求は誰しも持っている欲求ではないでしょうか。
美的感覚を磨けば磨くほど、オンリーワンのマイ価値観が出来上がります。
2)美的感覚が似た人が周りに集まる
美的感覚を研ぎ澄ませていくと、美的感覚が似た人が周りに集まるようになります。
自分の好き嫌いや価値観が徐々に形になっていくと、好きなことができる場所や価値観を具現化してくれるようなコミュニティを探し始めます。逆に、自分の美的感覚に共感してくれた人が近くに集まってきてくれるかもしれません。
軸がない状態の人だと、周りの人もその人がどういう人なのかわかりません。このため、美的感覚が似た人を引き寄せることができないのです。
似た人が周りに集まるようになればなるほど心地よい環境が手に入ります。これほど喜ばしいことはありません。結局のところ、人と人とのつながりがすべてだからです。
周りに美的感覚が似た人を集めたいなら、まずは自分の美的感覚を磨いて、自分自身が自らの美的感覚について知ることが必要不可欠です。
3)満足度の高い生活が送れる
美的感覚を研ぎ澄ませていくと、満足度の高い生活が送れるようになります。
美的感覚がない人は自分の軸がない人だとも言え、常に社会や他者の影響に一喜一憂する傾向があります。つまり、時間を過ごすベクトルが他人軸だということです。他人が作った評価基準の中で評価されることしか考えられず、いつなんどき他のライバルが現れるかと落ち着きがなくビクビクしている印象。
一方、美的感覚を磨いてきた自分軸を備えている人は、自分が感じる良し悪しで考え判断していくことができます。よって、自分の評価基準の中で他の誰にも邪魔されない生活を送れるのです。あやつり人形だと感じている状態では満足度の高い生活は成し遂げられません。
満足度の高い生活を送りたければ、美的感覚を磨き、自分の評価基準を明確なものにしていくことが近道です。
「美的感覚」を研ぎ澄ますハードル
とはいっても、美的感覚を研ぎ澄ませていくにはいくつかのハードルがあることも知っておかなくてはいけません。
そのハードルがこちらです。
- 1)「美的感覚」を築き上げるには時間がかかる
- 2)考えることが大前提
- 3)ポジションを取ることへの恐怖と不安
壁となる事象を事前に把握しておくことで心構えができ挫折率を下げることに繋がります。
1)「美的感覚」を築き上げるには時間がかかる
メリットの「1)確固たる価値観が築き上げられる」でも触れたように、価値観は一夜漬けで身につけられるものではなく日々の積み上げによって体に染み付いていくもの。このため、美的感覚を築き上げるのにはどうしても時間がかかってしまうのです。
1日限定で「今日は美的感覚を磨こう」という心意気を持つことはできますが、この気持ちを継続することはそう簡単なことではありません。何事もしかり、継続こそが一番難しいのです。時間がかかることは大きな障壁となります。したがって、メリットを頭では理解していても途中で離脱する人が頻出してしまいます。
ゴールの見えない美的感覚を研ぎ澄ます作業は非常に根気がいります。
2)考えることが大前提
美的感覚を研ぎ澄ます作業は、とにかく考えることから始まります。「何が好きなのか」「何が嫌いなのか」「何に対して美しいと思うか」などを頭で考えていきます。つまり、考えることが大前提になるのです。
この考えるという作業も大きなストレスが発生します。脳みそで考えることはとにかく疲れるため、人は自然と考えることから逃げようとします。特に学生時代に勉強が嫌いだった人は、考えることに対するコンプレックスが強いのではないでしょうか。
ただし、美的感覚を研ぎ澄ませるためには「考えること」が必須です。考えずに美的感覚を磨くことはできません。自ら考えることを避け、蓋をし、拒絶する人が多いからこそ高いハードルになってしまいます。
3)ポジションを取ることへの恐怖と不安
美的感覚を研ぎ澄ませていくと、自分の好き嫌いや価値観が明確になっていきます。これ自体は非常に喜ばしいことで称賛に値するのですが、美的感覚を研ぎ澄ませた人に対して現実社会はどのような反応をするでしょうか。(そもそもここで社会という他人軸を気にしている時点で研ぎ澄ませ方が不十分だとは思いますがそこはスルーで)
日本には、「みんな違ってみんないい」精神が大幅に欠落していると感じています。これまでお話してきたとおり、美的感覚を研ぎ澄ます作業は、好き嫌いや価値観を表現し、ポジション・立ち位置を明確にしていくことです。
ポジションを取るということは、「A」or「B」を選択するということです。あたなが「A」というポジションを取ると、「B」側から反論や嫌がらせを受けることもあるかもしれません。反論を受けることは面倒だしいい気になりません。だからこそ、私も含め多くの人が「A」と「B」の間という中立を取ろうとします。そのほうが、楽だし攻撃される恐怖や不安から解消されますから。
最後に。私は、斬新で変わった美的感覚の持ち主にたくさん会って影響を受けたいと思っています。そのためには、私自身も斬新で変わった「美的感覚」を兼ね備えておかなくてはいけません。
何事も、人と違うことをしたり意見を主張したり価値観を伝えることは勇気のいることです。だからこそ、価値がある。
普通の人とひと味もふた味も違っている、そんな人をこの日本に増やしていきたい、そう思います。
そのためには、答えのない事象に対して自分の考えを持つことを始めてみましょう。
だって、そのほうが楽しそうじゃないですか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。