「忙しい毎日」
一瞬のうちに1日が過ぎ去っているというのも日常茶飯事。一呼吸おく暇もない。
現代人の多くが、そんな多忙な日々を送っています。
そもそも時間に余裕を持って生活できている人がどれほどいるのか疑問です。肌感的には、ほとんどいない、とすら感じています。
絶え間なく移り変わる現代において、変化のスピードやテクノロジーが急速に上がっています。特にテクノロジーの成長は著しく、我々の生活を大きく変えました。
その結果、昔よりも確実に便利になっています。なってるはずです。
便利になっているということは、人が介入しなくてよくなったことが増えた、とも言えます。にもかかわらず、なぜ忙しい人が多いのか。非常に不思議です。
今回は、多忙の原因とその解決策について考えていきます。
多忙の原因は「選択の自由」が普及したから
結論から述べると、日常の忙しさから多くの人が解放されていない大きな原因は、「選択の自由」の普及にあると考えています。
「選択の自由」がない時代
現在当たり前のように認められている「選択の自由」ですが、一昔前までは「選択の自由」が認められない時代がありました。
- 職業
- 結婚
- 住む場所
など、現代では当たり前のように自ら選択して決定しています。ただ、これらの選択すら、生まれた場所や家系、身分によって支配され、自ら選択することができない時代があったのです。
「選択の自由」の拡大
生まれながらに自由な選択が支配されるのはおかしいよね、と多くの規制が緩和されていきました。はびこっていた男女格差や同性愛者に対する制限も徐々に取り除かれています。
具体的には、同性愛者の結婚を認める流れや女性の管理職を増やす取り組み、男性の育児休暇の促進など、多くの選択の機会が議論されるようになってきました。
その結果、選択できる幅が明らかに拡大しています。
「選択肢」が増え過ぎた問題
選択の自由が増えることは素晴らしいことです。生まれながらに制約があった仕事や結婚は、個人の裁量で選択できるようになりました。
加えて、細かなライフスタイルの選択までもが自由になり、様々な手段を取ることができます。
例えば、
- 夫婦共働きが否か
- 子育てのやり方
- 子供の教育や進学先
- 休日の過ごし方
など、たくさんの選択肢が認められています。
その一方で、選択肢が増えた分、どこまでも突き詰められるリミッターのない沼の状態と化していきました。
このため、どの選択においてもある一定の判断基準がないといつまでもゴールにたどり着けません。ゴールがないマラソンをひたすら走らされているイメージです。
そしてそのゴールは自分自身が設定しなくてはいけなくなったというのが「選択肢」が増え過ぎた根底にある問題です。
自分でゴールや妥協点を設定できない人は、ゴールがないマラソンをひたすら走り続けないといけません。
「自由な選択」が普及したことは大きな進歩ですが、判断基準を設けることなく無意識のうちに選択を続けると、毎日忙しい状況から抜け出すことはできないでしょう。
【解決策】「選択の自由」にどう向き合うか【捨てる勇気を持つこと】
では毎日多忙な生活から抜け出すには「選択の自由」にどう向き合っていけばよいか。
1つ解決策を挙げるとすれば、
- やらないこと、捨てることを決める
ことだと思います。
膨大な選択肢の中ですべての選択を受けていては身がもちません。忙しくなるのは当たり前。
ただ、
- もう少し時間の余裕が欲しい
- 忙しい生活から解放されたい
- 「忙しい」と言って自慢してる自分が嫌だ
と感じているのであれば、「捨てる勇気」を持たなくてはいけません。
私も意識して「捨てる」ことに取り組んではいますが、なかなか難しいというのが実感です。
これだけ選択肢が広がっていると、つい目移りしてしまってありとあらゆる新しいものに手を出したくなります。「これだ!」とひとつに決めることが容易でないと痛感しています。
ただ、「やらないこと、捨てることを決める」ことから逃げていてはゴールのない忙しい毎日に追われて一生を終えます。これが嫌なら、勇気を持って「諦めること」を作っていかなくてはいけません。
多岐にわたる「選択の自由」に囲まれて生活していると、肉付けしていくことは簡単です。あれこれ肉付けして積み上げることは大して難しくありません。
一方、やらないと諦めたり大切な価値観を捨てることは非常に難しい。
「捨てる勇気」を持つには、削ぎ落として捨てる練習を積むことに尽きます。
物事が全体で10あったら、そのうち8は捨てるイメージです。それくらい思い切って捨てる練習を繰り返すことで、「選択の自由」と心地よい温度感で付き合うことができます。
最後に。
「選択の自由」が拡大したことは人類の努力の賜物。素晴らしいことです。
ただ「選択の自由」によって私たちはより多忙になっているという事実にも気づくべきです。これこそ「選択の自由」に潜む罠だと思います。
「選択の自由」が広がる社会においては、「捨てる勇気」があるか否かが問われます。つまり、捨てる覚悟がなければ、一生忙しい毎日を送る「選択」をした、とも言えます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。