今回は、「『現実』という仮想ゲームの世界」を楽しむ感覚をお話しします。
圧倒的な「現実主義」を掲げる私にとって、「現実」とは勇気や自尊心を与えてくれる道具です。他方、非条理で不公平なことも多く、冷徹で厳しい側面も持っていることをこれまで嫌になるほど思い知らされました。
厳しい現実を目の前に、ペチャンコにされ心が病み、立ち直れなくなることだってあります。「現実」と向き合って生活していくのは決して簡単なことではありません。いつも逃げ出したい。そんなツラい場所です。
一方で、「現実」という有刺鉄線で囲われた世界の中で生きていかないといけないのも事実ではないでしょうか。この世に生を受けてから死を迎えるまで、私たちが時間を過ごす場所は、紛れもなく「現実」という世界です。
「現実」の厳しさや冷たさ、不平等さに途中で逃げ出したり寄り道したりと脱線することは多々あります。紆余曲折は想定内。ただ、「現実」の中を生きていく覚悟を持つ者と持たざる者では見る世界が大きく変わるというのが私の信念です。
とは言っても、
- 覚悟だなんて大袈裟だ
- 毎日生活することで精一杯なんだけど
- 余裕があるから偉そうなこと言えるんでしょ
という意見もわかります。
私自身、「現実主義」を掲げるまでにはかなりの試行錯誤がありました。9割がツラいことで占めているというのが実感です。私もまだ道半ばであり、修行中の身です。様々な現実や価値観を経験していくことで「現実」に対する許容量を広げている最中です。
そんな過程の中で身につけていった「『現実』という仮想ゲームの世界」を楽しむ感覚を書き記します。
「現実」を仮想ゲームの世界に落とし込む
いきなりですが、ゲームって面白いですよね。テレビゲームやスマホゲーム、PC オンラインゲームなど、ゲームなら何時間でもできるって人もいるのではないでしょうか。
これらのゲームは画面上の、いわば仮想世界を楽しんでいるとも言えます。「現実」では起こり得ない、経験できない世界を投影して、仮想空間の中に自分が居るかのような体験を与えてくれます。
この仮想空間を支配するのは、コントローラーを握るあなた自身です。コントローラーの操作ひとつで、ゲームという仮想空間内のキャラクターを自由自在に動かすことができます。
少し違うのですが、ジョジョでいう「本体」と「スタンド」の関係性と似たイメージです。笑
(ジョジョの奇妙な冒険を見たことがない方はぜひ見てみてください!)
「現実」という仮想ゲームの世界を楽しむには、「現実」を仮想空間のゲーム内に落とし込むことが必要になります。現実世界を仮想ゲームに置き換える感覚です。
仮想ゲームの主人公「現実世界の自分」を「もうひとりの自分」で操作する
ゲームでは、仮想ゲーム内のキャラクターとそのキャラクターをコントロールする仮想ゲーム外の操作者が必要です。
仮想ゲーム内での登場人物は、
- 仮想ゲーム内のキャラクター
- 仮想ゲーム外の操作者
「現実」という仮想ゲーム世界での登場人物は、
- 仮想ゲーム内のキャラクター:現実世界の自分
- 仮想ゲーム外の操作者:現実世界の自分を俯瞰して後ろから見るもうひとりの自分
というように現実世界を仮想ゲームに置き換えてしまいます。
この置き換えが完了することで、現実の生活がゲーム化され、現実世界で起こる全ての現象がゲーム内でのイベントになります。
道を歩くことも車を運転することも職場に行って仕事をすることも、全てゲーム内のストーリーのひとつなのです。
次はどんなストーリーが展開されるのか、ゲーム内のイベントに期待をしながら「現実」という仮想ゲームの世界を楽しむことができます。
「現実」を仮想世界に置き換えるって、それ逃げじゃないの?
「現実主義」であれば「現実」の中で生きていく覚悟を持って、現実に向き合いながら現実を受け入れていくべきじゃないのか?という意見もあるかもしれません。
「現実」を仮想世界に置き換える行為自体が、現実の厳しさから目を背けている行為とイコールなるのではないかという指摘でしょう。
ただ私は、「現実」を仮想世界に置き換える行為は「逃げ」でないと考えています。
そう考える理由は、以下の現実に対する行動ステップの1)〜3)を仮想世界に置き換えたゲームの中で処理することができるからです。
「現実」との関係性は次の5ステップで変化していきます。
- 1)「現実」を知る
- 2)「現実」に絶望する
- 3)「現実」に向き合う
- 4)「現実」を受け入れる
- 5)「現実」を変えていく
1)「現実」を知る
まずは誰もが「現実」を知ることから始まります。これは、この世に生を受けた時から始まるものです。
仮想ゲームの中では、現実世界の自分がゲーム内のキャラクターになり「現実」を知っていくことができます。
2)「現実」に絶望する
年を取り様々な「現実」を知っていくと、どこかで「現実」に絶望する時が訪れます。
勉強ができる人やスポーツができる人、仕事ができる人、お金持ちの人など、上を見るとキリがないくらい。多くの人がこの『2)「現実」に絶望する』ステップで自信を砕かれ、最初のステップである『1)「現実」を知る』ことから距離を置くようになります。
一方で、仮想ゲームの中では、ゲーム内のキャラクターが仮想ゲーム内で絶望しますが、仮想ゲーム外の操作者であるもうひとりの自分は直接的なダメージを受けることがありません。
3)「現実」に向き合う
『2)「現実」に絶望する』ステップを乗り越えると、「現実」に向き合うステップに移ります。
現実に向き合う時間は長期的な忍耐力が必要になります。このため、向き合っている途中で挫折していく人が後を絶立たないのです。向き合うことから離脱した人は、「現実」に絶望するツラさを知っているため、より一層『1)「現実」を知る』ことから距離を置くようになります。
仮想ゲームの中では、2)と同様、ゲーム内のキャラクターが長期的な忍耐力を必要とする「現実」に向き合ってくれます。
1)〜3)までのステップを生身の自分だけで迎え撃とうとするとかなりハードです。もちろん、自分の力だけで立ち向かえる人もいるかもしれません。が、1)〜3)で一度離脱してしまうと、「現実」という恐怖に苛まれ、再び立ち直るのに長い時間を必要とします。再起不能となる絶望を背負わされるのです。
このため、1)〜3)のステップでうまく離脱しない立ち振る舞いをすることが、4)以降のステップに繋がっていきます。
4)「現実」を受け入れる
「現実」に向き合うことができた人は、続いて自分の中に「現実」を受け入れていく作業に入ります。
価値観や考え方を言語化し、経験した感覚を忘れないよう体に覚えさせます。脳みそと体を使って、自分の中の奥深くに落とし込んでいくイメージです。
ここまでくればいいとこ取りができます。自分を俯瞰しているもうひとりの自分にも「現実」を落とし込んでいきます。そうすることで現実への許容量を増やすことが可能です。
5)「現実」を変えていく
「現実」を受け入れられた人は、最終的に非条理で不公平な「現実」を変えたいというエネルギーを持つ能力を身につけます。これは非常に大きなエネルギーで、動かないと思われるものさえ動かす原動力になります。
これまで述べてきたように、「現実」に絶望しながらも再起不可とならないよう「現実」を生きていくことが重要です。
そのためには、現実に対する5つの行動ステップを着実に登っていくことが求められます。
「現実」を仮想世界に置き換える行為は「逃げ」なんかじゃありません。「現実」への理解を深め、現実に対する行動ステップを確実に登っていく手段なのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。