ダメなやつをバカにしたり、あざ笑ったり。
自分より下だと思う個人を対象にして、指差して失笑するのはさぞかし快感でしょう。
多くの人が不安渦巻く社会で生活する中、他人を下に見ることが自分の存在意義を保つことにつながっています。
ここで得られた存在意義は、単発的なもので瞬間的に消え去ると気づいていてもなお、辞めることができないのが人間の弱さ。なかなか抜け出せません。
今回は、自分よりダメなやつを指差してあざ笑うことが快感な理由について考えていきます。
奥底に眠る快感の理由と、快感の本性を知ることで、あざ笑うことがいかに浅ましく卑しいことであるかをお伝えできればと思います。
あざ笑うことが快感な理由
なぜ、ダメなやつを指差してあざ笑うことは快感なのでしょうか?
ダメなやつ、つまり自分より出来が悪く、能力が落ち、経験が浅い人をバカにしてあざ笑うことが快感になる理由はこちらです。
- 安心感を得られる(一時的な幻想)
- 強さを誇示できる(ニセモノ)
- 集団の団結力を使える(上辺の関係)
1)安心感を得られる(一時的な幻想)
まず1つ目の理由は、「安心感を得られる」から。
自分より下の人間をターゲットにしてあざ笑うと、深い安心感を得ることができます。常に自分が上の立場に位置することができ、自分より上から頭を押さえつけられる危険がありません。天敵を排除し、自分を安全地帯に置くことができるのです。
ただ、この安心感は「一時的な幻想」だということを知っておく必要があります。
他人をあざ笑う姿は、周囲の人達が確実に見ています。周りの人は誰も何も言わず、見て見ぬ振りをしているでしょう。この期間の一時的幻想を安心感だと勘違いしていると、口を紡いでいた周りの人達から足元をすくわれます。つまり、他人をあざ笑って安心感を得る方法は、長く続かないということ。
一時的な幻想で終わってしまいます。
2)強さを誇示できる(ニセモノ)
2つ目の理由は、「強さを誇示できる」から。
あざ笑う関係性を周囲に見せつけることで、甲乙の関係を誇示することができ、自らが強く逆らうと危険だということを発信することができます。優位な立場を利用して、自己顕示欲を満たし、加えて周りからの承認欲求をかき立てることができます。
ただ、この強さの誇示は「ニセモノ」だということを知っておく必要があります。
そもそも強さとは、頭ごなしに上から抑える力を示すものではありません。これではいつか反感を買い、下剋上を起こされます。真の強さとは、周囲に認められ周りに沢山の助けてくれる人がいる状況を指すと思っています。自分の承認欲求を満たすため、周りをイジメて協力者を減らしていく行為は、強さを削っていると言わざるを得ません。
ニセモノの強さであることは明白です。
3)集団の団結力を使える(上辺の関係)
3つ目の理由は、「集団の団結力を使える」から。
弱者をあざ笑う時、大抵の場合が1対1ではありません。弱者1人に対して、その他大勢という構成が一般的。集団で対象となる人間をいじめることで、いじめる側には団結力が生まれます。そして、この団結力は「自分は1人ではない」という団結力で、個人ではできないことができるようになる力を与えます。
ただ、この団結力は「上辺の関係」だということを知っておく必要があります。
類は友を呼ぶというように、弱者をあざ笑う側の集団には同じような人間が集まってきます。一方、最後まで見放さなかったり、熱心に寄り添ってくれたりする人間は集まってきません。弱者をあざ笑う集団は、自分に害が及ぶと察すると一瞬でその場から消え去っていきます。本当の仲間ではないのです。調子がいいときは大きな声を出すけど、調子が悪くなると声が出せなくなる、そんな性質を持った薄い人間の集まりなのです。
上辺だけの薄い集団は、団結と解散を頻繁に繰り返します。
最後に。
今回は、自分よりダメなやつを指差してあざ笑うことが快感な理由について考えてきました。
私も自分に自信がない頃は、自己顕示欲や承認欲求を満たすために、奥底に眠る快感がひょっこり顔を出しては立ち止まることを繰り返していました。自分のことに自信がないと注意散漫になり、どうしても他人のことが気になり始めます。
こんなゲスな本性があることを自分自身でじっくり理解することで、周りの人が嫌な気持ちになる言動を慎むことができるような気がします。
皆さんはどう感じますか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。